komekome倶楽部 ②
河原町商店街ホームページをご覧いただき、ありがとうございます!
今週は、3番目の男「米工房 米夢」の千葉が担当させて頂きます。
お米屋さんの責務を背負いながら、お米に関心をもって食べていただけるような
話題と情報をお伝えする komekome倶楽部の2回目です。
前回は玄米食にお勧めの品種、「金のいぶき」をご紹介させて頂きました。
この流れ・・・お米の品種紹介で延々と続いていまいそうなスタートでしたので
今回は「白米」と題して。
私たち日本人の主食とも言える「お米」。前回では玄米をご紹介しましたが、ほとんどの方はお米を「白米」で召し上がっていますよね。この「白米にして食べる!」米屋でありながら生産も手掛けている私にとっては、正直なところ面倒な食べ物だと感じる事がありました・・・稲が実ったら刈取り、籾殻(もみがら)を取除き、玄米のヌカを削り落とし白米に・・・と。
そもそも、稲作自体は縄文時代の終わり頃から始まっていたと言われますが、その時代は黒米や赤米と言った色素を含んだ古代米。奈良時代の頃に現代の「うるち米」を臼(うす)に杵(きね)で精米したのが「白米」だそうだが、この白米を食べれたのは身分の高い人だけで、一般庶民が白米にして食べれるようになったのは江戸時代だそうです。米で税を納めなければならない事や、精米が重労働で肉体的にも時間的にも負担が大きいのも理由の一つだったのでしょう。木の臼から石臼・足踏み式から水車の動力を使い現代の電力へと・・・今では全国で主食とするお米の品種は300品種を超え、粘りのあるモチモチしたお米・サッパリした食感を持つお米など、お米の銘柄が高く評価されておりますが、これまでの精米技術の向上こそが美味しいお米「白米」を作ったのだと感じています。
お米には何千年もの歴史があります。今回は「白米」と題してかなりざっくりと個人の考えとして述べさせて頂きましたが、今後も当たり前に食しているお米の歴史や文化、生産過程など幅広い観点からボヤキも交え💦更新させて頂きます😅
次週は、私のボロボロな体を修復して頂いている
大友整骨院・医院長の為になるお話を・・・お楽しみに❗
そよかぜ交流刊!≪2≫
いつも河原町商店街をご利用いただきまして誠にありがとうございます。
今週は風里杜(ブリーズ)という理容室をしております佐々木が2度目の担当をさせていただきます。
先日お客様から「私は50代半ばの男子ですが、普段髪を洗った際にリンスはした方がいいんですか?」
というご質問をいただきました。
一般的にリンスは、シリコン等の油脂系の成分を使用しまして髪の毛をコーティングしてしっとりサラサラさせて痛みやキシみを包み込みスタイリングし易くしてくれるとてもありがたい商品ですので、使用していただいた方が楽にスタイリングが行えるようになると思います。
しかしこのシリコン等の成分、厄介な副作用が有ります。
油脂系のため頭皮に付着しますと毛穴を塞いでしまう恐れが有り、それが皮膚呼吸を妨げ皮膚トラブルの原因になる可能性が出てきてしまうという説も有るようです。余談ですが、私は温泉が大好きで良く出かけておりましたが、日帰り温泉施設等でリンスを頭皮にすり込んでおられる方を見かける事が有ります。それは危険なのでお止めになられた方が良いと思います(笑)
ではリンスはしない方が良いのでは!?と思われますよねぇ、そうでは無いです。
出来るだけ頭皮にはつかないよう髪の毛だけに塗布し、しっかりとすすぎをすればあまり問題は無いと思います。
リンスの中にはシリコン等の油脂系成分をほぼ含まない物も有りますので、そういった商品を使うのもお薦めです。
添付している写真は当店で取り扱っておりますクラシエというメーカーの夏にお薦め『冷コンディショナー』とスカルプ系『バサラコンディショナー』です。これは頭皮にも安心なリンスです。ちなみにコンディショナーと表記されていますが、リンスとコンディショナーは同等の物と思っていただいて良いと思います。
以上リンスは上手に使えばスタイリングを助けてくれる商材なので、普段行き着けのサロンやショップで相談なされてご自分の用途に合った物を探されてみてはいかがでしょうか。
先程リンスで毛穴が塞がる的なお話しをしましたが、せっかくですのでそれに関わるシャンプーの話もさせていただきます。シャンプーの中にはその塞がってしまった毛穴をきれいにしてくれる作用が有るの物が有ります。それが先程リンスの話しにも出てきました最近話題のスカルプ(育毛やフケかゆみ対策)系と呼ばれるシャンプー剤です。
これは抜け毛や薄毛にお悩みの方には特にお薦めです。
これもサロンやショップでご相談されると良いでしょう。
尚、本気で抜け毛薄毛対策をお考えの方はスカルプトリートメントやヘッドスパ等のメニューを取り入れているサロンも河原町にも増えてきておりますので探してみてはいかがでしょうか。
今後もホームページをご覧頂いているお客様皆様の髪やお肌の悩み事、寝癖、サイドやつむじの起ちやハネ・膨らみ、顔そりって必要なの?等のお困り事やご質問をメールでお寄せいただきまして、それを約2ヶ月サイクルで回って来ます私の更新担当の際に、ここのホームページ上でお答えして参りたいと思っております。時には私的な趣味の話等も織り交ぜながらお客様皆様と楽しく交流して参りたいと思っておりますのでどしどしメールをお願い致します。
但し、場合に寄っては全ての疑問質問にお答えしかねる場合や遅れてのご回答になってしまう場合もございますのでその時はご容赦下さい。
ご質問投稿は、お名前(P/N可)、年齢(?0代)、性別を記載してre.breeze@gmail.comまでお願い致します。
しかのやより閉店のお知らせ
この度令和3年6月18日をもちまして閉店いたしましたのでお知らせ申し上げます。
昭和元年創業以来96年の長きに渡りお引き立ていただき心より感謝申し上げます。
運動着や制服など学校用品についてはお隣の
高與商店にてお取り扱いを致します。
これまでのご愛顧に感謝申し上げると共に今後とも河原町商店街へのご厚情・ご愛顧を心よりお願い申し上げご挨拶とさせていただきます。
誠にありがとうございました。
しかのや 敬白
日本から寿司屋が消えた日??
ホームページの週替り更新が始まり、今週で2ヶ月が過ぎました。
それぞれ個性ある店主やメンバーによる投稿も今週から二回り目を迎えます。
振り出しに戻り、今週担当は末廣寿司の高橋です。
私は特に毎度の内容を決めず、その時その時で好きな事を書かせて頂きますのでお付き合い頂ければと思います。
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日本からお寿司屋さんが消えた日。
にわかには信じられない出来事がその昔ありました。
それは戦後直後のことです。
時は1947年、日本がGHQ支配下の中、食料不足などの影響で米などは配給制が強いられておりました。
また外食券という外食するための券も配給制であり、それを利用できる食堂(旅館も)以外は営業停止になる措置が下されました。
寿司屋はまさに外食券利用対象外のお店であり営業停止措置を受けた為、寿司屋は日本から一度すべて消えてしまいました。
しかし当時の寿司屋の主人達は、日本の食文化の一つであり歴史もある寿司の文化を絶やすわけにはいかないと、色々な方法を検討しました。
その中で生まれたアイディアが「委託加工」というものです。
「委託加工」とは、配給された米一合を寿司屋に持っていくと、その米を寿司に加工してくれる(厳密にいえば先にシャリを炊いて準備をしていました)というものです。
そこで握ってもらえた寿司が米一合につき10貫(お店などによってはにぎり7貫と巻物1本等様々)であり、それが今の寿司一人前の原型になりました。
(ちょうどこの寿司一人前の話は「NHK チコちゃんに叱られる!」で出ておりました!そこでは一人前は10貫と言われてたようです)
当時のお寿司は、戦後の為今のようにマグロなどの海産物はほとんど出回っていない状況でしたので、鱒や鮒などの川魚や時には練り物(蒲鉾)を握ったりしたとの記述も残っております。また巻物も然りで、海産物や干瓢などは手に入りづらく、農作物として比較的安価に(もしくは近くの畑から等)手に入る胡瓜を巻いたカッパ巻が誕生したのもこの時期だそうです。
このように寿司屋さんは一度消えてから、寿司職人の魂とアイディアで消滅の危機を脱し、寿司屋の存続へとなんとか落ち着いたのですが、実はこの事が影響して今のお寿司の形が出来上がったという側面もあります。
江戸時代から進化を重ねてきた寿司ですが、にぎりの形状は今とは異なり、シャリの大きさは今の2〜3倍で小さなおにぎりサイズの上にネタが乗っているというものでした。
しかし件の理由により、米を多く使うことは出来ないためその事が影響してシャリは小さく握るようになり、皮肉にも今のにぎりのサイズになった訳です。
ちなみにお寿司屋さんで二貫一緒に同じネタのにぎりを出すのは、この昔のにぎりのサイズが大きい為半分に切って提供した名残りという説もあります。
「末廣寿司」が誕生したのはまさにこの戦後で「委託加工」の時であり、宮城県の石越出身の曽祖父が兄と東京は亀井戸の寿司屋で働いていたところ空襲で焼け出され、兄は千葉の幕張、曽祖父は仙台に疎開して寿司屋を開店をしたのが始まりです。
今年で創業75年。コロナに負けず何とか営業を続けて参ります👍
末廣寿司 高橋理武
「河原町マルシェ」でアートな出会い!
いつも河原町商店街をご利用いただき
ありがとうございます。
週替わりで更新しております当ホームページ、
今週の担当は、河原町でデザイン業と
造形絵画教室ART CANを運営してます
アキャンこと菊地と申します、
よろしくお願いいたします。
私は文章が長くなってしまうのが悪い癖です。。。
どうぞ、最後までお付き合いいただければと思います。
本日は、河原町であったアートな出会いの
エピソードを書かせていただきたいと思います。
皆さんは、2019年の10月に
第2回河原町マルシェを河原町商店街で
開催したのをご存知でしょうか?
(詳しくは当ホームページイベント情報をご覧ください)
第1回、第2回とも河原町マルシェの実行委員の一員として、ポスターやチラシ、チームウェアの制作等、
イベント当日は似顔絵屋さんとして出店し参加させていただきました。
その際に、
似顔絵屋さんにお越しになったあるお客様が、
首を傾げながら、何か言いたげな表情で
ずっと私の描いた作品集を見ていました。
何か私の作風で気に入らないところが
あったのかな…と、ビクビクしながら
描き進めていた私ですが、
そのお客様に突然、
「間違えてたらすみません。
もしかして…だいぶ昔なんですけど、
区役所の乳幼児健診の待ち時間に
お子さんの絵を描いてませんでしたか?」
と聞かれました。
我が子の乳幼児健診とゆうと
もう10年以上前の話しです。
でも確かに、
描いていました!!!!
しかし、なぜそれをご存知で、、???
お話しを聞くと…
区役所で行われる乳幼児健診。
4児の母である私の経験上、健診はいつも
まあまあ待ち時間があるので
時間潰しグッズ=絵描き道具をいつも
持って行っていました。
待ち時間はいつも、
我が子が遊んでいる姿をデッサンしていました。
すると、
「お子さんの絵ですか?すごいですねー!」
と、声をかけてくださったお母様がいました。
なんとそれが、似顔絵屋さんに来てくださった
そのお客様だったのです。
なぜ、私だとわかったのですか?と聞いてみると、
「作品集を見てたら、絵のタッチでわかりました。」
とのこと。
すごい!
当時も、似顔絵を描く仕事をしているんです、と
話していたので、
「いつか描いてもらいたいと思ってたので
ここでまさか出会えるなんて嬉しいです!」
と言われ、
すごい偶然が河原町マルシェで起きました!!!
昔話に花が咲き、
そして当時、乳幼児健診に来ていたお子様の
大きくなった姿を、その日似顔絵で
描かせていただきました。
とても素敵な時間でした。
河原町は、老若男女様々な方が住んでおり、
そして商店街には様々な素敵なお店が並んでいます。
私のように偶然の懐かしい出会いもあれば、
新しい出会いもあるかもしれません。
私は河原町に10数年住んでいますが
たくさんの新しい出会いが河原町でありました。
おかげさまで今現在もとても充実しています。
いろんな方に、いろんな素敵な出会いが
河原町でたくさんあったらいいな、
と思います。
仙台河原町商店街にまだ来たことのない方は
是非ふらっと遊びにきてみてください。
思いがけない素敵な出会いが
もしかしたらあるかもしれません。
造形絵画教室ART CAN
菊地